2019.04.03
4月3日
“炎の4デイズ”ライヴへ向けてのリハーサルも最終日。
そろそろ体も喉もオーバーヒート気味になっちゃってます。
一度、追い込んでからクールダウンさせて本番へと臨む。
いつもやっているパターンなのだけれど、自信と期待と
ちょいと不安も交差したりなんかして。
まあ人生いつまでも“チャレンジャー”ってところですかねえ!
昼過ぎから宵の口あたりまで、びっしりと通し稽古、
とにかく流れと曲調を体に染み込ませて行く。
そして夕食休憩中、久々に地上波にてナイター中継をやっていた。
伝統の巨人VS阪神戦
序盤で巨人打線が爆発して大量リードをしていた。
イニングの合間に、“ミスター”長嶋さんがドームを訪れたという
ニュースの映像が映し出されていた。
顔ツヤも良く、スタンドのファンに向けて手を振り笑顔で応えていた。
公の場に姿を見せたのは、去年の06月08日のドームでの
西武戦以来でした。
色々と体調不良の報道があって心配してましたが
その元気なたたずまいに安心しました。
やはり、ミスターは“太陽”です、存在しているだけで
そこが光り輝くのだ。
新しい元号は「令和」に決まり、まだちょっと馴染みがないというか
ちょっと違和感があるというか、まあ時間が経てば慣れるのだろうけど。
ミスターこそ“昭和の象徴”です。
いつまでもお元気で野球界の発展に貢献していただきたいものです。
2019.03.29
3月29日
昨夜遅くテレビから「俳優で歌手の萩原健一さん死亡・・」
とニュース速報が入った。
えっ!何で?何があったの?嘘だろ?
‘11年から患っていた消化管間質腫瘍で亡くなったとの事
まだまだ若すぎる68歳だった。
グループサウンズ全盛時代、女子たちはタイガースのジュリーに
夢中だったが、俺たち男子は圧倒的にテンプターズのショーケンが
好きだった。
グループサウンズの終焉時、そのジュリーとダブルヴォーカルを
取ったPYGは、サウンドも何もかも衝撃だった。
「太陽にほえろ」で刑事を演じて話題をさらい、あの殉職シーンは
今でも語り草だ。
そこから俳優ショーケンの快進撃が始まった。
俺たちの青春のバイブルである「傷だらけの天使」、BIGIの衣装に
身を包んだ“修ちゃん”はとにかく格好良かった!
「前略おふくろ様」では演技派として開花、これもみんなが
ショーケンの真似をしていたっけ。
その後、映画にドラマに八面六臂の大活躍。
‘80年代前半には音楽活動も活発に、アルバム「ドンファン」は
聞きまくった。
そのアルバムからの「ルーシー」は自分のカヴァーアルバムにも
収められている。
デビューしたばかりの頃、六本木にあった「ウォーターエンター
プライズ」の事務所で初めてお会いした、その時の握手の力強さは
今でも覚えている。
思い出は尽きません・・
また昭和の大スターいや大ヒーローが平成の終わり寸前に
逝ってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。
2019.03.22
3月22日
昨日のメジャーリーグ開幕第二戦、
マリナーズVSアスレチックスのゲーム中継時に
「イチロー引退」のニュース速報が入った。
もしかしたら、この開幕カードで来日する時に、
もう決めていたのかなあと思ったりして。
プロ野球選手はベテランになると“肩と脚”から衰えがきて
引退するパターンが多い。
でもイチローさんの肩と足はまだまだ十分に健在だっただけに
残念でならないです。
深夜、ケーブルTVをザッピングしていたら、ちょうど生放送で
引退会見が行われていた。
“孤高の天才”にて“求道者”のイメージが強く、マスコミに対しても
多くを語らず、どちらかというとリップサービスは苦手な方だと
思っていた。
それが昨夜の会見では、実に饒舌でジョークもたくさん飛び出して、
なんとも言えない和やかな会見だった。
肩の荷が下りたという感じだった
様々な思いをひとつひとつ言葉を選んで真摯に答えていた姿が
とても清々しかった。
日本では打撃のタイトルを総なめにして、海を渡りメジャーでも
輝かしい活躍と成績を残した。
「記憶と記録に残る最高の野球選手」でした。
朝刊の一般誌とスポーツ誌の両方の一面を飾るスターは
なかなかいませんね!
日本の誇りであり至宝でした、数々の忘れられない名プレーシーンは、
たくさんの人たちの記憶に燦然と輝いてます。
長い間、本当にお疲れ様でした。