初代ジェームズ・ボンド・・

2020.11.01


11月1日

英BBC放送は、人気スパイ映画「007」シリーズの
初代ジェームズ・ボンド役で人気を博したスコットランド出身の
映画俳優ショーン・コネリーさんが、滞在先の大西洋の島国バハマで
死亡したと報じた、90歳だった。
007以外にも代表作は多く、「アンタッチャブル」で
アカデミー賞助演男優賞を受賞。
「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」など日本でもヒットした
作品に数多く出演し、日本のテレビCMにも起用されていた。
でもなんと云っても007!
あの“ビンビビビーンビビ〜”で始まるテーマミュージックに乗って
シルエットから弾丸を放つオープニングはいまでも目に焼き付いている。
1962年公開の「007」シリーズ第1作「ドクター・ノオ」を皮切りに
初代ボンドとしてシリーズの7作品に出演した。
ロジャー・ムーアもいかにもって感じで良かった、
ピアース・ブロスナンも色男だった、
現在のボンドのダニエル・クレイグは昔だったら
“最大の好敵手”ってところだったかも。
でもやっぱり総合力でショーン・コネリーだな!
セクシーでタフでカリスマ性も持ち合わせていた。
古き良き60〜70年代は映画も映画スターも一際輝いていたのだ。
またひとつ巨星が旅立っていってしまった。

午前のたしなみ・・

2020.10.31


10月31日

28日のドジャースの逆転勝利でワールドシリーズ終了。
ドジャースは‘88年以来の32年ぶりの
ワールドチャンピオンに輝いた。
ドジャーズ・ファンの喜びはひとしおの事だろう。
何しろ、過去3年間で2度ワールドシリーズに出場も、
もう一歩のところで涙を飲んでいたのだから・・
変則シーズンだったが、やはりポストシーズンは
接戦が多くホットだった。
通常なら対戦チームごとにホーム&アウェイで移動日があり、
その都度の立て直しが可能だったが、地区決定シリーズ各5戦、
リーグ優勝決定シリーズ各7戦は移動日なしのぶっ続けだったから、
ほとんど毎日“午前中”観戦が出来た。
さすがにワールドシリーズは同じ球場だったが
しっかりと休養日が設けられていた。
ワールドシリーズ進出のドジャースの選手総年棒は
全30球団中2位で、対するレイズは30球団中なんと28位だった。
アメリカンリーグ・ナショナルリーグの両リーグの
最高勝率同士の対決は文字通り、ワールドシリーズに
相応しかったと言えよう。
しかし選手層の厚さで圧倒的に有利だったドジャースは
やはり強かった、ポストシーズンではまったく力を発揮出来なかった
“大エース”のカーショウが実力通りの活躍を見せたことが
大きかったか!
近年、日本プロ野球もメジャーに近づいたとの論調もあるが、
最高峰の戦いを見るとまだまだという感じだ。
ほとんどのピッチャーが150キロ後半のスピードを出し、
それも微妙に動く。
9番バッターでもツボにはまれば軽くオーバーフェンスする。
走塁のスピード、守備範囲の広さを誇るデフェンス、勝利に対する執念。
どれを取っても及ばない気がした。
いや、それよりなにより『午前のたしなみ』がなくなってしまった
ことが何より寂しいのだ・・また来シーズンへ!

ドラフト会議!

2020.10.27


10月27日

『プロ野球ドラフト会議』が26日、都内のホテルで行われた。
注目の早稲田大・早川隆久投手は4球団競合の末、
楽天ゼネラルマネージャーの石井一久さんが交渉権を獲得した。
何かボーッとしたイメージの石井さんだが、「隆久というのは、
僕のお父さんが『隆』僕が一『久』。両方の漢字が入っていたので、
縁を感じました。」のコメントはなかなかユニークだった。
その他、千葉出身でサウスポー、楽天カラーのクリムゾンレッドは、
早稲田カラーのエンジに似ているという、いくつかの共通項も
あったりして。
もう一人の注目スラッガー、近畿大の佐藤輝明内野手は、
こちらもジャイアンツを含めた4球団の競合となったが、
阪神・矢野監督が見事に当たりくじを引き当てた。
大学生野手の4球団競合は、‘80年の東海大・原辰徳(巨人)以来
40年ぶりだったそうだ。
阪神に決定した瞬間も表情ひとつ変えなかった佇まいには、
早くも大物の風格さえ感じられた。
それにしても、原監督はくじ運がまるでない・・
これで6連敗、通算1勝11敗。
来年からは違う方にくじを引かせたらよろしいのでは
ないでしょうか(笑)。
ドラフトに指名された諸君!
まだまだスタートラインに立っただけだ、
これからが本当の勝負です。
応援してくれた方々に恩返しが出来るよう精進して欲しいものです。

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