2019.03.11
3月11日
一昨日は関東で“春一番”が吹いた、真冬の寒さの直後だけに
やっとという感じだったか。
昨日は夕方から雨が降り出し、深夜にはまさに土砂降りに。
そして今日は各地で春の嵐になっていた。
死者、行方不明者、関連死を含め、2万2131人が犠牲になった
東日本大震災から本日で8年になる。
行方不明者は未だに2538人にものぼる。
今も約3100人がプレハブ仮説住宅で過ごし、約5万2千人が
避難生活を続けている。
まだまだ復興半ばなのである。
震災直後、スタッフと炊き出しと慰問に訪れた時、
信じられない姿になっていた閖上地区、塩釜に向かう道にて
両脇の建物に付いた津波の傷跡、避難先の体育館での大変な状態、
いつまでも続く大きな余震、まるで昨日のことのように覚えている。
自然の脅威と恐ろしさと人間の無力さを痛感したものだ。
それでも悲しみを乗り越えて、一つづつ一歩づつ、
日常を取り戻そうとしています。
俺たちにできることは、その震災の記憶と経験を後世に伝える事、
そして絶対に風化させないことです。
いつどこで、また未曾有の震災が起きてもおかしくない国に
住んでいる俺たち、備えと準備と覚悟を常に肝に命じておかなければ!
2019.03.10
3月9日
力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる
伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーさんが
米ニューヨーク州北部バファローの自宅で死亡した。
88歳だった。
別名「白覆面の魔王」とも呼ばれ、その後続々と登場する
“覆面レスラー”の元祖とも言える人だった。
‘63年05月に行われたWWA世界ヘビー級王座決定戦、
力道山との世紀の一戦のテレビ平均視聴率は、
なんと64%をマークした。
今の時代では信じられない数字なのだ。
プロレス第1期黄金時代の立役者の一人だった。
全日本プロレスに所属、70年代はブッチャーやマスカラスと
名勝負を展開、馬場やジャンボ鶴田とタッグを組み人気を博した。
そして、忘れてはならないのが、日本テレビのバラエティー番組
「金曜10時!うわさのチャンネル!!」。
せんだみつお、和田アキ子、徳光和夫アナウンサーとの掛け合いで
お茶の間の人気者になった。
得意技「4の字固め」をかけられた徳光さんがマジで悲鳴をあげたり
和田さんに作り物の“まむし”を差し出したものの、それを「むまし」と
言ってしまった事とかが昨日のことのように思い出された。
この「4の字固め」、俺たち世代は小学校の教室で
みんなと掛け合ったものだ。
これが決まると本当に痛い。
ところが裏返しになると今度は掛けた方がダメージを受ける。
あ〜〜懐かしいなあ!
平成ももうすぐ終わってしまうが、また“昭和の大スター”が
天国へ行ってしまった。
2019.03.05
3月5日
昨日、一昨日の寒さといったら、まるで真冬に逆戻りした感じだった。
東京マラソンの参加者の方たちも大変だったようだ。
本当に冬から春にかけての天候の変化には油断出来ないものがある。
“忙中閑あり”ではないが、珍しく日中に時間ができた。
しかも朝から晴天で気温もグングン上がっていて、
これは絶好の散歩日和!
ちょいとてくてく“平(へい)”散歩。
桜が咲いていた、立ち止まって見ていたら、その辺りを掃除していた
叔母様が「これは河津桜だよ、綺麗でしょ」と教えてくれた。
燦々と降り注ぐ太陽に向かって、まるで胸を張っているように
立派に咲いていた。
色も鮮やかなピンク色だった。
さらに歩いて、前から気になっていたラーメン屋さん“H”へ。
いつもは行列が出来ているのだが、昼時なのにすんなりと入れた。
一押しの“鶏そば・醤油味”をオーダー(塩味にもちょいと
後ろ髪を引かれてしまったが・・)。
とにかく上品な味わいで奥が深かった、チャーシューも抜群でした。
何度食べても飽きのこない一杯と言うところでしょうか!
巷で話題になっている“食パン屋さん”へも足を運んでみる。
ここもお客さんが溢れていた、種類も多く全部食べてみたいと
思わされてしまったりして(笑)。
日差しはたっぷりだったが、時折吹きつける風はまだまだ冷たかったが
風の香りはもう春の予感を漂わせていた。