雪・・

2021.01.28


1月28日

昨日の東京の最高気温は16℃近くあった
これはもう桜の咲く頃(いや散ってしまう頃?)の気温だった。
それでも昨日は昼過ぎから、スタジオでの仕事だったから
外がそんなことになっていたとはつゆ知らずだった。
確かに夕方帰宅する時、随分あたたかいとは感じたのだが。

そして一夜明けて、本日は朝からガツンと寒かった。
午前中が一番気温が高く、もう昼あたりからガンガンと
下がる一方だった。
本日はオフ日だったので、DVDで映画鑑賞をしていた。
これが地味だったがなかなか面白かったりして!
厚い雲におおわれて寒い日は、あったかい部屋にて
おとなしくしているのが一番である。
その後、ボヤッとTVを見ていたら、ワイドショーにて
「この時間の東京は、当初は雨の予報でしたが雪になっています」
とMCの方が話していた。
「そんな訳ないやろ?」とふとリヴィングのサッシを開けてびっくり
「ほんまや!!」(なんで関西弁やねん・・笑)。
もちろん、ほんの少しではあったものの、かなりの勢いで
降っておりました。
この冬初めて、しっかりと降っている雪を目撃!

いやはやそれにしても、気温の乱高下は身体に堪えるぜ・・・

ハンク・アーロン・・

2021.01.24


1月24日

昨日の天気予報では、関東地方でも大雪の恐れあり
とのことだった。
確かに昨日は午前中から、しっかりと雨が降り続いていて、
夕方からは気温もぐっと低くなり、これは夜半あたりから
積もるかなと思わされた。
それでも東京は気温が当初の見通しほど下がらず、
雨のまま経過した。
少し雪も見たかった気もしたが、積もったら交通機関に
多大な影響が出るし、とりあえず大雪予報は外れて良かった。

そして昨日、訃報がまたひとつ入った。
米大リーグ歴代2位、通算755本塁打を放った
ハンク・アーロン氏が、86歳で死去した。
まだまだ人種差別が激しかった1973年、永遠不滅と言われた
ベーブ・ルースの714本塁打にあと1本と迫った状態で
シーズンを終えた時、白人ルースの記録を黒人が抜くことを
よしとしない人たちから、脅迫・殺人予告・家族の誘拐予告
といった手紙が毎日何千通と届いたそうだ。
しかし、翌74年4月8日のドジャース戦にて
ルースの記録を抜いたとき、世界が一変した。
客席でスタンディング・オベーションが起こり、
敵も味方も、白人も黒人も、全員が偉業達成を喜び、
歴史的瞬間の心を震わせたのだった。
これもひとえに、彼の高潔な人間性が引き出した現象
だったといえよう。
世界の王さんとの交流も長く続いていた。
またひとつ巨星が天国へ旅立ってしまった。

音の魔術師 逝く

2021.01.18


1月18日

『ウォール・オブ・サウンド』の生みの親として知られ、
1960年代初頭のポピュラー音楽の録音方法に革命を起こした
音楽プロデューサー、フィル・スペクター氏が80歳で亡くなった。
ニューヨーク出身、1963年にプロデュースを手掛けた
ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』が大ヒット。
“音の魔術師”の異名を取り、多重録音の技術が未発達だった時代に
多くの楽器やコーラスを重ね合わせた音作りは
“ウォール・オブ・サウンド(音の壁)”と呼ばれ、一世を風靡した。
70年には、ビートルズの最後の作品となった
『レット・イット・ビー』のプロデュースを手掛けたほか、
ジョン・レノンのデビュー作『ジョンの魂』や
ジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』など
歴史的作品を世に送り出している。
後世の音楽界に与えた影響は大きく、大瀧詠一や山下達郎、
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンや
ブルース・スプリングステーンなど、多くの歴代ミュージシャンが
その影響を公言している。
個人的にはライチャス・ブラザーズの『アンチェインド・メロディ』
『ふられた気持ち』にジョン・レノンの『ロックンロール』が
大好きだな!
天才の名を欲しいままにした一方で、奇行が多く、
ロック界きっての変人として知られた。
薬物におぼれ、80年代以降は音楽界から遠ざかっていた。

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