音の魔術師 逝く
2021.01.18
1月18日
『ウォール・オブ・サウンド』の生みの親として知られ、
1960年代初頭のポピュラー音楽の録音方法に革命を起こした
音楽プロデューサー、フィル・スペクター氏が80歳で亡くなった。
ニューヨーク出身、1963年にプロデュースを手掛けた
ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』が大ヒット。
“音の魔術師”の異名を取り、多重録音の技術が未発達だった時代に
多くの楽器やコーラスを重ね合わせた音作りは
“ウォール・オブ・サウンド(音の壁)”と呼ばれ、一世を風靡した。
70年には、ビートルズの最後の作品となった
『レット・イット・ビー』のプロデュースを手掛けたほか、
ジョン・レノンのデビュー作『ジョンの魂』や
ジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』など
歴史的作品を世に送り出している。
後世の音楽界に与えた影響は大きく、大瀧詠一や山下達郎、
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンや
ブルース・スプリングステーンなど、多くの歴代ミュージシャンが
その影響を公言している。
個人的にはライチャス・ブラザーズの『アンチェインド・メロディ』
『ふられた気持ち』にジョン・レノンの『ロックンロール』が
大好きだな!
天才の名を欲しいままにした一方で、奇行が多く、
ロック界きっての変人として知られた。
薬物におぼれ、80年代以降は音楽界から遠ざかっていた。