2020.04.20
4月20日
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、キャロルでドラマーとして
活躍した相原誠さんが、13日に心不全のため死去していたことが
17日、分かった。
69歳、秋田県出身。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童さんが
インスタグラムで訃報を伝えた。
相原さんは、ユウ岡崎が不在期間に旧知の間柄だったキャロルで
演奏した後、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド結成に参加した。
くしくも、4月13日は45年前に日比谷野音で行われた、
キャロル解散ライヴの日だった。
高校2年の時、ラジオから突然流れて来たキャロルの
ルイジアンナに衝撃を受けた。
日本語を鮮やかにロックンロールに乗せて、“ベードラ”が
演奏のど真ん中から叩きつけて来た。
こんなミキシングは当時はなかった。
それまで、洋楽一辺倒だった“ロック少年”は
一気にキャロル・フリークとなった。
確か、キャロルの3rdシングルの「やりきれない気持ち」
「ホープ」で相原さんが叩いていたと記憶している。
素人耳にも、このシングルだけがそれまでのドラムの音と
違って聞こえたのだ。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの衣装の“ツナギ”は、
相原さんのアイディアだったという話もある。
彼のドラムと出会わなかったら、ここまでドラムを
好きになれなかったかもしれない。
感謝!感謝!そして合掌。
2020.04.15
4月14日
13日は“春の嵐”だった・・
爆弾低気圧により全国的に大荒れ模様、強風に大雨
そして吹雪いた所もあった。
これが真冬だったら、東京もガツンと雪が積もったかもしれない。
東京も昼すぎあたりは叩きつけるような雨だった
しかも一日中気温が上がらず、04月中旬だというのに
10℃を少し越えたあたりだった。
夜は6〜7℃まで下がってまさに“鍋日和”だったりして。
NHK-BSプレミアムにて13時より映画「卒業」をやっていて
ついつい見入ってしまった。
もう何回見たか分からないが、いつ見ても新鮮なのだ。
1967年に公開され、ダスティン・ホフマンを一躍スターダムへと
押し上げた伝説の作品。
4Kデジタルリマスター版としての復活!
1967年といえば「俺たちに明日はない」も公開されていて、
アメリカ映画史にとって転換期となった年なのだ。
いわゆる“アメリカン・ニューシネマ”の代表作となった二つの作品。
それまでのハリウッドの「強く、正しく、美しく」ではない、
権力や社会に媚びないアウトローたちが主人公となり、
お決まりのハッピーエンドでは終わらないというスタイルが
主流となった。
そして何と言っても、サイモン&ガーファンクルの楽曲がキラリと光る。
「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」
「スカボロ・フェア」などなど。
今見てみると、あの有名なラスト・シーンも、あの頃とは
解釈が違って来たりする。
それはそれで“大人”になったということか。
オープニングとエンディングに流れる「サウンド・オブ・サイレンス」が
あまりにも印象的だ、美しすぎるメロディに乗せた
“人間はみな暗闇に囚われて誰も理解し合えていない”の歌詞が
胸に痛いぜ・・
2020.04.12
4月12日
またひとつ巨星が逝ってしまった。
『時をかける少女』『転校生』など、叙情性と遊び心を
併せ持つ作品を撮り続け、「映像の魔術師」と称された
映画監督の大林宣彦さんが10日、肺がんのため亡くなった。
メジャーデビューする前に、その当時は作品として
評価の低かったCM業界に進出。
CMディレクターとして、チャールズ・ブロンソン主演の
“マンダム”を筆頭に海外スターを起用したCMをたくさん手掛けた。
子供心にもあの“マンダム”のインパクトは凄かった、
主題歌「男の世界」は大ヒットし、
よく学校帰りに大声で歌ったものだ。
インタビュー時に普段の柔和な表情から一転、時折鋭い口調による
コメントが印象的だった。
「戦争で亡くなった人を忘れないことが、平和を作る方法。
そういう映画を作ってきた」
「映画は愚かな過ちの過去を変えることはできないけれど、
未来を変えることはできるかもしれない」
などなど、映画に出来ること、映画を通じて若者たちに
大切なメッセージを届けてくれた。
亡くなられた10日は、2016年に肺がんで余命宣告を受けたあとに
企画した“最後の映画”の封切り予定の日だった・・
すでにホームページにて発表されていますが、
新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言を受けて、
5月に予定していたライヴが再振替となりました。
まったく先が見えない国難ともいえるこの状況では
致し方ない判断だと思われます。
今は一日も早く事態が好転し、終息に向かうことを祈るばかりです。